アトピー奮闘記

第11回 土佐清水療法との出会い

年最低2回は2週間ばかりの大型の休暇が取れて旅行していたアメリカ時代が忘れられず、日本に帰っても、年最低2回は家族旅行をすることにしました。愛媛県新居浜市は、四国の交通の中心で、松山、高知、徳島、高松のどこへでも高速道路を使って2時間以内に行けるという大変便利なところにありました。帰国して、1年数か月たった1998年3月、私たちは高知県の西南端の足摺岬へと旅行することにしました。中村市の「とまろっと」というキャンプ場のキャビンに予約をし、次の日には足摺岬を観光して回る予定でした。ところが幸か不幸か、その日はあいにくの雨天となり、足摺岬行きを諦め、土佐清水の竜の串あたりへ出かけることにしました。土佐清水市内まで車で入った時、以前本で読んだことのある土佐清水病院のことをふと思い出し、三男の皮膚の状態もよろしくなかったので、ちょっと覗いてみることとしました。土佐清水病院は思ったよりずっと小さく古く、表のドアを開けた瞬間、なんともいえない異臭が立ち込めていました。(これは後で、グリテールパスタの臭いだとわかりました。)さらによく待合室のなかを見回してみると、包帯でミイラのようにぐるぐるまきにされた人が、何人も座っていました。まるで、子どものころよく見ていた、妖怪人間べムの世界、何か、見てはいけなかったものを見てしまった気がして、慌ててドアを閉め、土佐清水病院を後にしたのでした。それから2年の月日を経て、自らが土佐清水病院の外来を担当することになろうなどと、その時は想像だにしませんでした。土佐清水病院を後にして、土佐清水市の端っこにある、竜の串にある海洋館で遊んだ後、あいにくの雨天でもあり、時間をもてあましました。その間もずっと、三男のアトピーと土佐清水病院のことが頭から離れませんでした。三男の皮膚の状態は、最近特に思わしくなく、夜も寝られない状態が続いていたのでした。もう、閉まっただろうなと思いつつ、思い切って土佐清水病院に電話をかけてみました。すると、「まだやっていますよ。いつでもどうぞ。」と、病院の対応は思いもよらず親切でした。その時、健康保険証を持っていないことに気がつき「保険証を持っていないんですが。」と尋ねると「うちは健康保険を使っていないから、いりません。」という返事でした。今どき、健康保険を使っていない病院?と何か、うさんくさいものを感じましたが、思い切ってもう一度、土佐清水の中心地に引き返し、初めて病院の門をくぐったのでした。順番は予想外に早く来ました。本のカバーの写真で見る、いかにも頑固そうでこわそうな丹羽先生が出てくるのかなと思っていましたが、診察室のドアを開けると、待っていたのは、若い男の先生でした。三男は一緒に診察室に入った数人の人と一緒に裸にされ、先生の診察を受けたあと「入院だな」と言われました。入院ということは寝耳に水でしたので、今、旅行中で遊びに来たなどという、ふとどきなことは口が裂けても言えず、自分が小児科医であること、後日出直してくることを約束し、入院は勘弁していただきました。そこで処方されたのは、AOA④という甘い匂いのする茶色い軟膏でした。それと何やら、SODという漢方薬のようなものを自宅のある新居浜で販売している人の名前を教えてもらい、逃げるようにして病院を後にしました。しかし、不思議なことに、病院から駐車場までの風景がいやに懐かしく見え、その道をまた歩いている自分が容易に想像できました。本能的直感というものは恐ろしいもので、ちょうど2年後に、今度は土佐清水病院の職員として、その道をまた歩いている自分がありました。

 

無事旅行を終えて、新居浜に帰宅したあとも、土佐清水病院のことが頭から離れず、丹羽先生の数冊の著書を改めて読みあさり、いわゆる一般向けのアトピーの本のなかでは卓越して、その理論から治療にいたるまで、理論整然と完成されており、加えて、丹羽先生の診療にかける情熱がひしひしと伝わってくるようで、とってもフレッシュな気分になりました。そして、自分も、自分の子どものために、いや世の中のアトピーの人のために何かせねばという気持ちが沸き起こってくるのでした。それから、三男に土佐清水病院のAOA④軟膏を塗り、病院から紹介していただいた新居浜の販売員の方から、SOD様作用食品を取り寄せて内服開始させました。暫くすると、三男の皮膚炎は急激に悪化してきました。おかしいなあ、そんなはずはないと思いながら治療を続けても、良くなるどころか、どんどん悪化していきます。病院に問い合わせてみたところ、それはSOD作用食品のアレルギーかもしれないから、一度、減量あるいは中止してみるように言われました。SOD様作用食品は、大豆、ごま、ハトムギ、胚芽などの天然の種子から出来ており、三男は、少なくとも大豆、ごまに対してアレルギーがあるため、SODによる抗アトピー作用より、その原材料によるアレルギーの方が前面に出たのでしょう。SOD様作用食品を思い切ってきっぱりやめると、皮膚の状態は改善したのでした。その後、AOA④軟膏を塗りつづけて、何とか皮膚炎のほうはコントロールできるようになりました。AOA④軟膏はいくら塗りつづけても、そして突然中止しても、丹羽先生が繰り返し強調していますように、決して副作用が出ないことでした。三男の食物アレルギーの方は、変わりなく、僅かの卵、乳製品に対しても強い症状を示しました。彼の舌は、リトマス紙のように敏感で、それらが僅かでも入っていますと、「しびれ感」で察知できるのでした。

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角丸

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