アトピー奮闘記
第13回 土佐清水病院での研修
2000年4月から約3ヶ月間の短い期間でしたが、土佐清水病院で医師として働きながら、アトピー性皮膚炎の治療の研修をさせていただくことができました。今まで、普通の病院で普通の小児科医として勤めてきていましたので、土佐清水病院で見ること聞くこと、すべてが新鮮な驚きの連続で、3ヶ月がまるで3年のようにも感じました。そこで、それまでの自分とは全く違う価値観や考え方を持つお医者さんや職員の方々とおおぜい出会い、単に治療方法だけではなく、人生そのものについて、乾いたスポンジが水を吸収するようにいろんなことを吸収でき、実際、3年分くらいの価値があったのではと思います。土佐清水市は、東京から最も時間のかかる「市」であり、文字通り陸の孤島でした。四国の松山から向かっても高知から向かっても4~5時間かかりました。丹羽先生はアトピー性皮膚炎だけではなく、独自の生薬でガンや膠原病の治療もされていましたので、もと土佐清水市役所を改造したという小さな古い病院の中は、全国各地から地元の大きな病院から見放されて丹羽先生を頼ってこられた、ガンや膠原病の患者さんであふれていました。手術に抗がん剤といろんな治療をやり尽くされたり、それらを拒否した末期がんの人が多かったので、治療の甲斐なく亡くなられる人もおられましたが、驚いたことに、他の治療法では、明らかに死んでいるはずの人が何人か、丹羽療法によって生きているのです。私も、素人ではありませんから、その事実がはっきりとわかり、驚異でした。この時期ちょうど、私自身の母も、肝臓に転移した末期の乳癌を病んでいましたから、丹羽療法に一縷の希望を託したのでした。結果として約1年後に亡くなってしまいましたが、本当に亡くなる2週間前まで家族と一緒に旅行するくらい元気でした。こればかりは比較ができないのでわかりませんが、丹羽先生の生薬のおかげもあったのではと思います。百歩譲って、その効果が無かったとしても、現代西洋医学から完全に見放されていた母が、最後の最後まで生薬治療に希望を持っていたということは事実であります。丹羽先生の独特の生薬を用いたがん治療も大変興味深かったのですが、あまり深入りしすぎると、ここに来た本来の目的を見失いそうでしたので割愛せざるを得なかったのが残念です。さて、話をアトピー性皮膚炎のほうに戻します。アトピー性皮膚炎などのアレルギー疾患の急増、重症化について私が感じていたことと丹羽先生が感じていることは完全に一致していました。アトピーは環境汚染病、恐れないで敢えて言えば、それは広域型の公害病なのです。丹羽先生は1970年代を境に、地球が自滅への坂道を転がり始めたとくり返し警告されています。空に舞い上がったフロンガスがオゾン層に穴をあけ、強烈な紫外線が降り注ぐようになってきました。自動車の排気ガス、工場からの煤煙、水道水の塩素消毒、それらどれをとっても活性酸素を増加させます。この身の回りに激増した活性酸素が西洋化した食事の中にたっぷり含まれている不飽和脂肪酸と結びつくと過酸化脂質となり、これが皮膚にへばりついて保湿機能を奪い、アトピー性皮膚炎の原因となったり、動脈の壁に結びつくと動脈硬化、果ては心筋梗塞や脳卒中を起すのです。丹羽先生は徹底的に活性酸素と過酸化脂質を攻めます。アトピー性皮膚炎の原因と治療理論については、丹羽先生の著書に譲るとして、患者さんが実際、病院に来られてからの大まかな流れを追ってみましょう。土佐清水は先に述べましたように、全国どこの場所からも遠いところにありますので、通院することはまず不可能です。再診や軽いアトピーではできるかもしれませんが、ここに来られる方は、一般に超重症ですので、なおさら通院は不可能です。以前は、病院に入院となっていたそうですが、病院は50床足らずである上、現在ほとんどの病床をガンや膠原病の患者さんが埋めているため、アトピーの人が入れる空きがありません。そこで、民宿入院というユニークな方法をとっています。すなわち、病院の近くの民宿に泊り込んでそこから毎日通院するのです。民宿の方でもそのあたりはよく心得ていて、食事など、病院の方針に基づいてつくられます。初回の外来日には、時間を節約するため、男性、女性別に数人ずつ診察室に入り、簡単に皮膚炎の原因や治療についての説明をします。この説明はとても数分で終わるものではないため、後に数百人の患者さんを一つのホールに集めて丹羽先生自らが3時間以上もかけて行ないます。しかし毎日、そのような説明会を行なう時間的余裕がないため、その間に外来に来られた方には、丹羽先生の本を買ってもらい、またプリントを渡して、まず患者さんに自主的に勉強してもらわなければなりません。どこの病院についても言える事ですが、患者さんはそこにいくと、自分は努力をせずに医者が処方する薬や軟膏だけでアトピーを治してもらえるというふうに思い込まれている場合があります。これは誤解のもとで、まず、自分がアトピーの原因を作っていることを知ってもらい、これを取り除く努力をしていただかなければなりません。さて、簡単な説明が終わりますと、ほとんどの方が、遠赤外線の石風呂(サンドバス)という特殊なお風呂に入ります。このお風呂の中には九州の山奥に落ちた、遠赤外線を強力に放射する隕石を細かく砕いて、そのまわりを茶色いセラミックでコートした砂(小石)が湯船一杯に敷き詰めてあります。その中には少し熱めのお湯が循環しており、小石全体を暖かく保ち、遠赤外線を存分に放射するようになっています。その中に、首から下全部、場合によっては鼻だけ外に出して、体全体を埋めてもらいます。遠赤外線とは波長4~14μm の波長の光線で育成光線とも言われ、すべての生き物を育み生命を活性化する光線です。実際、私も土佐清水にいる時はこの石風呂に入ることで1日がスタートしていました。石風呂に入るとドクンドクンと足のゆび、手のゆびの先の先まで血が駆け巡るのがよくわかります。とっても気持ちよくて、心の底からリラックスでき、また、体の底から活力が湧き起こってきます。最初はのぼせそうで5分入っているのがやっとですが、慣れてくると15分くらい入れるようになります。この遠赤外線は、皮膚の保湿機能を高め、過酸化脂質を分解します。そして肥厚苔癬化といって象の皮膚のようになって、軟膏が中まで入らなくなったアトピーの皮膚を軟らかくします。毎日、この石風呂で保湿機能を高め、過酸化脂質を分解し、皮膚を軟らかくして軟膏の浸透を良くしておいて、軟膏処置を行なうのです。体の脂肪の中に蓄積された有機溶媒やダイオキシンなどの環境ホルモンもこの遠赤外線の石風呂によって、体の外に出すことができるそうです。軟膏処置は一人一人の皮膚の状態を見ながら決められますが、基本的には天然の植物、種子から作られた、SOD様作用物質をたっぷり含む発酵液を含んだステロイド入り軟膏をまず塗って、その上からグリテールパスタという大豆、トウモロコシ、亜鉛華軟膏などからできた臭い独特な匂いのする軟膏を重ね塗りして、包帯で全身をまるでミイラのようにぐるぐる巻きにします。軟膏の種類はいくつかあって、皮膚の状態を見ながら決めていきます。時には、どの軟膏がよく効くか確かめるために、体の右半分と左半分で塗り分けて、効果を比べたりします。炎症の強い部分にはグリテールパスタの代わりにアズノールを重ね塗りしたり、イクタモールというヨーロッパ産の軟膏も使います。このことを毎日毎日繰り返していきますと、皮膚は見る見るうちに、蘇ってきます。ある程度皮膚がよくなると、グリテールパスタの重層塗布と包帯巻きはやめ、Vaと呼ばれる発酵液入りの軟膏やAOAと呼ばれるSOD粉末入りの軟膏の素塗りへと段階を落としていきます。ステロイドが入っているというだけで、この丹羽先生の軟膏は批判を受けていますが、ステロイドはアトピーの主反応となっている皮膚の炎症をおさえる抜群の効果を持っていますので、これだけではなにも非難されることはないと思います。ただ、ステロイドは悪い炎症反応も、良い皮膚の反応、すなわち皮膚を活き活きと蘇らせてくる線維芽細胞の力も同時に押さえ込んでしまうというところに問題があります。その結果、皮膚がだんだん薄くなるという副作用が出て、その副作用が効果を上回った時に、ステロイドは使えなくなってくるのです。ところが、丹羽先生の軟膏は、ステロイドの副作用を打ち消して、線維芽細胞を蘇らせるという不思議な成分を含んでいますので、副作用を気にすることなく、ステロイドが使えるのです。内服薬としては、基本的に生薬や種子からできたSOD原末と呼ばれる粉を飲んでもらい、活性酸素をできる限り除去します。また、南アフリカ産のルイボスティ―のエキスで痒みやアレルギー反応を抑えます。その他、痒みの強い場合にはイチョウの葉のエキスを濃縮したものや、普通の抗アレルギー剤を併用したりもします。最後に、食事と水に最大限の注意を払うことも大切で、土佐清水病院や民宿では、徹底的に肉(不飽和脂肪酸)を避けた、和食の料理が出されるのです。もちろん、日ごろの仕事や悩みから解放されていますので、患者さんにはストレスがありません。これら、食事、脱ストレス、過酸化脂質と活性酸素除去が相乗効果を出して、1~2週間もすれば、どんなひどかった人でも、見た目には全くきれいにアトピーが治ってしまいます。また、丹羽先生はよく、ビタミン剤やグルタチオンなどの肝庇護剤を併用されていました。私はこれらの効果に疑いを持っていましたが、すぐあとに研修を受けた、最新のアメリカ環境医学でも、「環境汚染病にはできる限り体の解毒機能を高めなければならない」との理論に立ち、基本的に丹羽先生と同じものを使っているのを知って、丹羽先生の洞察の深さに改めて敬服いたしました。土佐清水病院には全国の有名な大学病院や大病院で手におえず、そこから逃げ出してきた人々が大勢ひしめいておりました。アトピー性皮膚炎の皮膚治療にかけては、私がにらんでいた通り、名実ともに日本一であることを確信しました。「アトピー性皮膚炎は体の中から悪い毒素が皮膚に出てきているのであって、その反応を抑えてはならない。」という理論を聞いたことがありますが、私はその考えには反対です。もちろん、アトピーの原因を探って、その根本対策を立てねばなりませんが、皮膚の治療もそれと同じくらい大切だと思うのです。特に食物アレルギーの強い子どもの皮膚炎は、皮膚を治しても治してもまた、体の中からアレルギー反応が出てきて、皮膚の痒みは治まりません。現に、土佐清水病院でもこういうケースには手を焼いていました。だからと言って皮膚の処置は意味がないという理論は成り立たないと思います。皮膚の処置をすることによって痒みを少しでも抑えていくと、夜はよく眠れるようになり、食欲も出てきて、精神状態もよくなり、アレルギーの改善にプラスに作用していくと思うのです。その「皮膚処置」にかけては土佐清水療法は日本一、いや世界一です。それともう一つ感じたことは、同じ、アトピー性皮膚炎といっても、質が全然違うものがあるということです、もちろん、原因も違うのでしょう。例えば子どもの皮膚炎はダニや食物アレルギーが多くからんだ皮膚のアレルギー反応であり、大人のものはアレルギーというよりはむしろ、毒性物質による中毒反応のような気がしました。今は、それらを十羽一からげに「アトピー性皮膚炎」と呼んでいるから、その治療法も混乱しているのでしょう。さて、ひとまず皮膚の状態が落ち着くと、患者さんは退院となりますが、見た目にアトピーがなおったからといって元の生活に戻るとまた、再発してきます。大切なことはアトピーの原因を十分理解して、日常生活のなかでそれに気をつけていくことです。しかし、中にはどうしてもアトピーがなかなかよくならない人や、一旦よくなって家に帰るとすぐまた再発して、病院に逆戻りという人も何人かおられました。最初、土佐清水病院には、看護婦さんをはじめアトピー性皮膚炎の職員がたくさんいることに驚き、出身地をきいてみますと、全国各地から来られています。丹羽先生はそれら難治性の患者を自分の病院に就職させて、そこで働かせながら治療されていたのです。確かにひどいアトピーになるとまともに働くことができず、職を失ってしまう場合もあります。丹羽先生はただアトピーという病気を治療しているだけではなく、生活の保障をも含めて患者さんを全人的にケアされていたのです。医者は普通、病気を治すだけで、患者さんの生活問題まで面倒をみる力量はとても備えておりません。そんな力量を持ったお医者さんには初めてお目にかかり、丹羽先生の根強い人気の秘訣がわかりました。さらに、丹羽先生は、自分の研究所と工場を持っておられ、そこでの基礎研究とそれに基づいた生薬の開発と製造、それらの実際の患者さんへの使用、さらに全国を回っての相談会、講演会、学会発表、論文や著書の執筆と本当に一人で何役もこなしておられます。私もたくさんのお医者さんを見て参りましたが、これほど郡を抜いてすごい人をみたのは初めてでした。